詳細プロフィール

投稿者: | 2000年1月1日

198X年生まれです。

初めて触ったワープロ機

当時はまだパソコンというものは一般的ではなかったが、子供会のプリントを作成するために使うワープロ機が家にありました。型番はもはや覚えていませんが、「書院」というシリーズだったかと記憶しています。

なんだかおもしろそうだなと子供ながらに思い、親が触っていないときに打ち込み始めたのが本当の最初。当時はかな入力でした。

中学生時代

授業の板書を殴り書きしていて、ワープロで印刷したものをノートとして提出するとかやっていました。当時はこれが結構タイピングの練習にもなりました。

中学2年生になると「パソコン」を買ってもらい、ダイアルアップでWebを見ていました。FMVデスクパワーというマシンでした。おそらく…

https://www.fmworld.net/product/hard/dp0105/index.html

このあたりの製品だったと思います。当時はまだ128MBしかメモリが積まれていなかったんですね。次第に「ジオシティーズ」とかでホームページを作るようになりました。この頃にネットの掲示板で出会った人と大学生の頃に再開するのですが、それが今の嫁です。

ネットをおもちゃにしていた少年ではありましたが、Excelを使っていろいろな計算をしたりして、「作業が便利になるもの」を自分の手で作れるってことに感動し始めます。

ここが私の職業観の原点です。誰かの仕事が便利になるものを作ることが好きなので、「業務系のSE」というものを当時言葉にはできませんでしたが、朧気ながらそういうものになりたいと思っていました。

高校生時代

この頃からプログラミングをやり始めます。当時はJavascriptやperlなどをやり始めていました。当時はまだ学び始めた頃ですから、さんざんなものです。

  • 仮引数と実引数がわからずに混乱する
  • 標準入力と出力とは何かわからない(※1)
  • ファイルハンドラーとは何かがわからない
  • そもそもエラーが出すぎて何もできない

※1 今でも覚えている開設があります。httpのGETのクエリストリングはperlプログラムへの引数で渡されるが、POSTは標準入力で渡されるのだ、とかかれていました。当時はなんのこっちゃ、でした。

モンモンとしながら、当時VisualBasicがかける同級生から少し教わったり、何か教材がないかを様々探しつつしていました。今では優れた教材がいくらでもありましたが、当時は本くらいしかありません。自分にとって程良いものはなかなか探すのは大変でした。

結局、当時はPHPはそれなりにかけるようになったのでした。当時教材にしていたページ、今でもありますね。お世話になりました。https://ponk.jp/php/file/

学生時代

大学は情報系の学部に入りました。1年生からプログラミング、ネットワーク、データベース等の基礎から学習しました。

もちろん、やる気のない学生は、4年生になっても満足にプログラムもかけないし、満足にSQLもかけないし、ルータの設定すらできやしないでしょう。

私はそれなりにプログラミングは好きだったので、「codeigniter」を使って出席管理アプリを作りSAの授業で使ったりしていました。

カリキュラムでよかったなぁと思ったことは、telnetでWebサーバの80ポートにつないだり、bashでcgiをやったり、tcpソケットでメールクライアントを作ったりした課題はとても良かったと思います。

若手のころ

この頃は下流工程ばかりでつまらないと思っていました。

当時東証2部に上場していた中堅のSIerに就職しました。1年目は主に単体試験テスト仕様の作成からその実施がメインでした。たまに簡単な修正であればプログラム修正も行っていました。

しかし正直なところすぐに飽きてしまいました。

2年目には別の案件に入りました。詳細設計くらいからプログラミングも担当するようになりましたが、いまいちシステムのまとまったサイズを担当することがなく、もっとユーザの業務がどのように回っているのかまで踏まえて開発していきたいと思うようになります。

そうであればすぐにそういう環境に身を置きたいなと思い転職しました。

仕事に燃えていたころ

製造業向けに自社開発パッケージを売っている会社に転職し、そこのカスタマイズSI案件に入ります。結構大きな案件であったことと、直接の上司が本当にいい人でここで多くを学べました。

要件定義~システムテスト、移行作業までなんでもやるようになりましたし、チームメンバーに仕様を伝えて開発の一部を切り出したりしていました。あまりに業務が忙しすぎてちょっと鬱になりかけはしましたが、吹っ切れてからは打ち込むようになり、次第に評価してもらえるようになりました。

再度転職をするも…

2社目に移った時にはやりがいでしたが、3社目に転職するときの動機は、組織的な管理力のある会社で働きたいというものでした。

2社目はそれこそ「少数精鋭」な会社だったので「管理」なんてものはなく、全員ががむしゃらにやってやりきるというものでした。また、客単価はきっちり新人でも100万をとると豪語しているだけあって、つじつまを合わせるためには中堅以上(年俸制)ががむしゃらにやらねばなりませんでした。新人との2人体制ともなればとてつもない負荷がかかります。3年近く毎月50時間程度の残業が続いたこともあって、第二新卒のころから比べると年も重ね辛さのほうが響いてくるようになってきたのでした。

intra-mart案件をしていた頃

3社目に移ると、intra-martを使った開発案件に入るようになりました。intra-martですから、ワークフローシステムの対応が多いです。一部では、たまたまプラットフォームがintra-martではあるだけで、通常の画面開発のような案件もありました。

この会社に所属しているとわかるのですが、SESのパートナー探しをしているとintra-mart開発の経験のある応募者ってなかなか少ないようですね。一般的なRailsやLaravelというフレームワークの経験も大切ですが、この手の開発プラットフォーム上の経験はそれとなく武器になるようです。2021年現在はもう一つということでkintoneも触ってみようと思っています。

3社目の管理職は特に「案件の管理業務」はしていません。結局現場現場でできる人が何とか管理業務を回している感じです。一方で、オフィシャルな労務管理については「図体は大きい会社」ということもあるので、36協定よりも厳しい自社、自部のルールを設定しているため、サービス残業が蔓延していました。新人に至ってはJavaの勉強を業務命令しておきながら資格受験費用は満足に手当てしないし、その勉強を業務時間外で課していたので、何とも不憫です。

そしてそんな状況が異様とも思っていないようでした。毎月の残業時間が水面下では50時間程度あることに「それって疲れない?」という感覚もありません。

(念のため書いておきますが、intra-martをプラットフォームにしたワークフロー業務システムの開発です。製品そのものには一切タッチしていません。)

そんなこともあって、転職して現職に至ります。

Webサービス作ってみた

業務系のエンジニアとしてやっていくにあたっては、開発だけできる人、まったく開発ができない人、というのはどちらもいまいちかなぁという考えです。もちろん、開発方面や、業務方面どちらかに突き抜けている方はそれを強みにしていけばよいのですが、そのような人は稀ではないでしょうか。

従って突き抜けきれない人はどちらも案件の中で一定のアウトプットができる状態にしておくようにしておきましょう。

基本設計フェーズ前後から参画してユーザサイドと仕様を詰め、開発サイドが作業を進められるようにすること。開発やテスト、移行などの手を動かせる状態にしておくことが必要だと思っています。

その両方の練習のためにWebサービスの設計、開発にトライしています。

https://app.itdkt.info/

2021年現在、Ver2までこれたので、ひとまずこちらは一服というところです。

上記のサービスを作ったみた経験をもとに、ブログでアウトプットして整理していこうと思っています。

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